私の心の師匠として、お金についてはYouTubeで有名なリベラルアーツ大学の両学長、そして教育については、国語科の学習で有名な土居正博先生がいらっしゃいます。
お二人方の考え方には共通点がありました。それが、「自己責任論」です。自分の周りで起こっている上手くいかない出来事について、自分の問題から考えるというものです。
ただ、この考え方をすんなり受け入れられる人ばかりではないのではないかと思います。「全部、自分の所為にしていたらしんどいじゃん。」「100%自分の所為ではないのに、何で受け入れなければならないのか。」など、気持ちはよーく分かります。
それではどのように、この考え方を扱えばよいのでしょうか。ポイントは二つ、なぜこの考え方が大事なのかということ、どのように自分に落とし込んでいくかです。
まず、一つ目のなぜこの考え方が大事なのかということについてですが、これはこの考え方を取り入れることによって、自分が楽になるからです。なぜだと思いますか。
それは「他責思考」に陥りにくいからです。他責思考は文字通りすべて他人の所為にする考え方です。教員だったら「子どもがテストで点がとれないのは、保護者の家庭教育が悪いからだ。」「前の担任がしっかり指導していなかったから、今の自分がしんどいんだ。」とかですかね。多かれ少なかれ頭によぎることも多いのではないかと思います。しかし、他責思考の考え方は不幸の元です。いくら自分が憤ったところで事態は解決しないですし、イライラするだけです。イライラすると不機嫌になり周りから人が離れていくなどの負の連鎖が起こります。
二つ目にどのように自分に落とし込んでいくかです。
そのためには「自己責任として考えることと、そうではないことに分けるということ」が一番のキーになります。例えば、先ほどの「子どもがテストで点がとれないのは、保護者の家庭教育が悪いからだ。」という思考をもとに話してみます。そもそも子どもの学力は全国平均や学校平均など相対的なものとして語られがちです。しかし、子ども一人一人に能力の違いがあることを考えると、「何点とれたか?」ではなく、「最初と比べてどのくらいのびたか?」という過程の方に重きをおくべきだと思います。だとすると、担任をもったばかりの4月と比べて、3月に全く子どもの成長が見られないというのは教員の責任になるのではないかと思います。
一方で、確かに教育に熱心なご家庭とそうではないご家庭があることは、事実としてあると思います。そうではない家庭を指導して教育熱心に変えるというのは不可能ではないかもしれませんが、難しいですし、そもそも家庭によって様々な指導観があると思うので、強制することもいかがなものかなと思います。こうした他人の考えは、自己責任の範囲外に置くのが賢明だと考えます。
このように、自分がコントロールできるできることとできないことを冷静に分析し、できることのみ全力を尽くすことが大切なのではないでしょうか。90%相手が悪いことだとしても残りの10%で自分が改善できることはなかったか。そう考えることが自分の人生を生きることになるのではないかと思います。
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